「キリストの権威」 04.10.24
ルカ19:45〜20:8
主イエスは、人が本来あるべき姿を回復して生きられるようにして
くださる方です。
その日、主イエスは、神殿を本来あるべき姿へと回復して行かれ
ました。 「わたしの家は、祈りの家でなければならない。ところが、
あなたたちはそれを強盗の巣にした。」とおっしゃり、商売をしていた
人たちを追い出して、神殿を清めていかれました。
私たちの心の内はどうなっているかを考えさせられます。
「強盗の巣」は、人から奪う心です。自分のことしか考えず、人に
与えることや人を生かすことを考えることの出来ない心です。強盗の
心は、人の本来あるべき姿ではありません。しかし、残念なことに、
私たちはその心と無縁ではありません。
「祈りの家」とは、神さまに向いている心です。祈りによって、
神さまに愛され、養われている自分に気づきます。同時に、神さまに
愛されている隣人という視点も開かれます。神さまに創られた自分と
隣人の存在を喜び、重んじ、愛し、生かしあう道が生まれます。
そこに、イエスさまを拒む人たちが登場します。彼らは、権威を持って
いるのは自分だと思っています。「権威」という聖書の言葉には、自由、
権利、力、支配などの意味も含まれています。「自分の自由にする」
「自分で決める権利がある」それがイエスさまを拒む人たちの心です。
この人たちは、イエスさまの権威をうすうす感じていました。
しかし、自分の権威を手放すことができないでいました。
自分の権威をかたくなに守り、イエスさまの呼びかけに「ハイ」と言え
ないで拒み続ける。そんな人は、自分の権威を手放すと自分を失う
ように感じて、恐れているのかもしれません。
しかし、イエスさまに身を委(ゆだ)ね、従う生き方は、自分を失うの
ではありません。本来の自分を回復し、神さまに創られたものとして
ふさわしく、神さまの前で安心して生き始めるのです。
そこには、自分の権威に従っていたのでは決して得ることの
出来ない、永遠のうれしさがあります。